ならはみらい10周年企画 「拡大期」対談
一般社団法人ならはみらいは、2024年に設立10周年を迎えました。10年という節目にあわせ、ならはみらいのスタッフ間で「これまでに歩んできた10年間を振り返り、大切にし続けたい価値観や考え方を改めて見直そう」と、10年を4つの時代に分け、振り返りの対談を実施しました。
法人設立、商業・交流施設の運営スタート、移住定住促進事業本格開始を4つの時代の区切りとしています。
このレポートでは、第4期となる「拡大期」の対談をお送りいたします。拡大期は、移住定住促進事業が本格的にスタートし、人員が増加し複数拠点になりました。また、「ならは百年祭」がスタートするなど、着実に町民主体のまちづくりが進んできた時期です。
拡大期は、拠点となる『CODOU』や『まざらっせ』がオープンし、事業項目も職員数も一挙に増えました。組織としての規模が拡大することで、新たな課題も見え始めます。拡大期の歩みを振り返り、次の10年のために何を取り組んでいくべきか、代表理事と4 名の係長に考えを伺いました。
<「創業期」対談メンバープロフィール>
(左から)
木村 英一
企画事業係係長
( 2018.4 ~ )
西出 貞善
事務局次長兼総務係係長
( 2018.4 ~ )
大和田 賢司
代表理事
( 2024.6 ~ )
平山 将士
移住促進係係長
( 2018.4 ~ )
齋藤 誠
施設管理係係長
( 2024.7 ~ )
「10 年間の思いを受けて
この先10 年へつなげる拡大期
――西出さん・平山さん・木村さんは2018 年4 月入社の同期だと伺っています。なぜならはみらいで働こうと思ったのでしょうか。
西出 私は、かねてからテレビに映し出される楢葉町の様子に心を痛めていたことと、新しい仕事にチャレンジしたいという思いがあり、エントリーしました。
平山 前職はいわき市の地域紙の記者だったのですが、震災当日は県外にいて、震災報道の現場に立つことができませんでした。そのときの無力感が、後悔として心から消えませんでした。復興に関われなかった過去から一歩でも踏み出すために、ならはみらいの求人に応募しました。
木村 私は楢葉町で生まれ育ちました。町への思い入れが強い方々は避難指示解除と同時に帰町。「例えライフラインや買い物施設が充分でなくても、町に帰りたい」と言って帰町した方々の姿は忘れられません。楢葉町を愛する人が幸せに暮らせる場所になってほしいと思ったのが、私がまちづくり会社を志したきっかけです。
――大和田さんは2024 年6 月から代表理事に、齋藤さんは同年7 月から入社されたのですね。
大和田 私は9 年間ならはみらいの理事をつとめた後、代表理事に就任しました。組織としての成長と、歴代職員の頑張る姿を、長く見守ってきた立場です。
齋藤 私は派遣職員として、前任者との交代でやってきました。働き始めてからはまだ日が浅いですが、楢葉町の明るさに心惹かれています。
――ならはみらいの拡大期とは、どのような時期でしたか?
西出 移住促進事業などの新規事業がスタートし、職員数が大幅に増えていった時期です。一気に事業が拡大したため、ひやひやドキドキでした。
木村 楢葉町の政策と連動して受託事業は増えていきました。ならはみらいの業務が多様化していくこと自体が、町の復興が次のフェーズに進んでいる現れだったと捉えています。
平山 そして私たちが入社した頃は、『みんなの交流館 ならはCANvas』のオープンに向けて職員一同が奔走していた時期でしたね。夜遅くまで議論を重ね、骨組みから徐々にできあがる交流館の姿を見守り……無事にオープニングを迎えられた日に、交流館の多目的広場に寝そべって見上げた光景は、この先もずっと忘れないと思います。
――ならはみらいの事業は、拡大期になってからどのくらい増えたのでしょうか?
大和田 現在のならはみらいは、合計34 項目の事業を行っています。設立当初は1 〜 2 項目だったのですから、目覚ましい成長です。ここまで事業項目が増えたのは、ならはみらいが行政の期待に応え続けた証だと思います。スピード感のあるプロジェクト遂行力と、住民一人ひとりに寄り添う柔軟性を武器に、ならはみらいは行政のよきパートナーとしてあり続けました。
――行政から新たに委託を受けた事業の中に、移住事業がありますね。
平山 そうですね。ただ、ひと口に移住といっても、“ 移住者を呼び込めば終わり” ではありません。移住者が暮らしに満足し、定住してくれるような働きかけまでをセットで行う必要があります。さらに移住者同士をつなぐことも今後取り組みたい課題として見えてきました。
西出 今、町を活気づけてくれている若い方たちが、町に定着してくれるように働きかけていきたいですね。
――事業が増え、方針も変わっていったのでしょうか?
木村 事業項目が増えても、“ 町民主体のまちづくり” を目指していく方針は変わりません。計画がならはみらいの理念に沿っているか、各係のチェックはいつも真剣です。この先もずっと、ならはみらいの芯の部分は変わらないでしょう。
――職場環境として、ならはみらいの雰囲気はどうですか?
齋藤 過去の楢葉町を知らない私が受け入れてもらえるのか、着任前は不安もありましたが、職員のみなさんには親身になってもらっています。先進的なまちづくりの取り組みを行うならはみらいには、日々多くの学びがあります。
木村 チャレンジ精神を応援する風土も特徴的です。職員が信念をもって取り組む仕事に迷いなく挑戦できるよう、上司や仲間が頼もしくバックアップしてくれます。
大和田 どの職員も、楢葉町の復興という共通目標を掲げ、時間をかけて議論し、熱意をもって仕事に取り組んできました。苦労をいとわず、実直に業務をこなす姿には、心からの敬意を表します。
――ならはみらいで働いて、人との出会いやつながりは増えましたか?
西出 町に知り合いが増えました。町民の方から、ならはみらいの仕事を褒められたりすると、誇らしい気持ちになります。
平山 私も在職期間が長くなり、“ ならはみらいの平山さん” と呼ばれるようになりました。楢葉町の一員になれたと感じています。
木村 人との絆が深まるほどに、別れのときがつらく感じます。ならはみらいに派遣職員として来る方々は、任期を終えると町を去っていきます。しかし元職員のみなさんは、町外の応援者コミュニティ「ならは応援団」に登録して、ふるさと納税やイベントの告知などに協力してくれていますね。かつて楢葉町にフィールドワークで来てくれた学生さんも応援団として活躍しています。
大和田 町から離れた後も、楢葉町に愛着をもってくださる方々とのつながりは、ならはみらいの大きな財産です。
――ならはみらいが存続するために、取り組みたい課題はありますか?
大和田 まちづくりと同時に、人づくりに力を入れていきたいですね。
平山 マインドの面では、理念を大切にしつつ、変化を恐れずに取り組めることが重要です。また、現在のならはみらいには人事異動がなく、職員一人ひとりに仕事が紐づいている状態です。マルチな業務に対応できる人材を育成することも、今後は必要かもしれません。
西出 加えて、組織が大きくなるほどに、方向性がバラバラにならないように注意する必要が見えてきました。
平山 思いや熱量は、関わりが濃くなるほどに高まっていくものです。震災当時の楢葉町の姿を知らない職員が今後増えていく中、組織として職員の心の向きをそろえる努力は続けていきたいです。
――町民とならはみらいとの理想の関係は、どのように考えていますか?
木村 とある町民の方は、震災前に比べて、自らの力で情報を得る努力をするようになったと言っていました。“ 町民主体のまちづくり” が実を結んできたのかもしれません。これからも、町民のみなさんを主役に立てる存在でありたいですね。
大和田 「ならは百年祭」も、プレイヤーとして地域を盛り上げる若者たちと、裏方として汗をかきながら奔走するならはみらいの職員たち、両者があって成り立っています。
西出 裏方をつとめる一方で、ならはみらいの存在意義を町民の方に理解してもらうことも重要です。
齋藤 今日まで築き上げてきたならはみらいの存在意義を、次世代の職員が引き継ぎ、発展させてくれれば嬉しいです。「ならは百年祭」と同じく、100 年先の楢葉町に私たちの仕事が残ることを期待します。
――楢葉町のこれからの課題だと感じていることはありますか?
平山 今までつくった施設や事業の中から、次の時代に残すべきものを取捨選択する必要があるでしょう。加えて現在は高齢者が町内の広い範囲に点在しており、より高齢化が進めば新たな問題が出てくると思います。ならはみらいと行政が、これからも両輪のような関係性を保ち、まちづくりに取り組んでいけると良いですね。
――これから10 年後の楢葉町とならはみらいに、どのようなことを期待していますか?
平山 ならはみらいが今後も、若者が活躍できる組織であるといいですね。「ならはみらいがやることだから応援しよう」と町民の方から言ってもらえるように、引き続き謙虚さを忘れずにチームプレイで業務にあたっていきたいです。
木村 まちづくりに終わりはありません。ひとつのミッションを終えた後も、新たな事業が生まれ、ならはみらいは続いていくはずです。将来のならはみらいの職員が、組織の一員として役割を果たしながら、自身の自己実現も叶えていける未来を期待します。職員の輝く姿は、町の魅力となるはずです。先輩職員のみなさんがそうであったように、私も若手がチャレンジできる環境整備につとめていきます。
齋藤 現在の楢葉町が笑顔あふれる町となっているのは、今までの職員、発起人、関係者の方々が本気で取り組んだ成果だろうと思います。私自身も笑顔を忘れずに、町民のみなさんと協力してまちづくりに取り組みたいです。
西出 人と人をつなぐ価値は、10 年後もきっと変わっていません。若い職員が働きやすい環境を維持し、町民・行政・企業、さまざまなものをつなぐ仕事を10 年といわずに20 年、30 年と続けていってくれたらと思います。
大和田 今日まで縁の下の力もちとして築き上げたならはみらいの良い部分を残し、町民が生きがいをもって暮らせる楢葉町を目指していきたいですね。職員のチャレンジングな姿勢を今後も支えていきます。