ごあいさつ
設立趣意
夢や希望に満ちあふれる
楢葉を目指して。
楢葉町は、南北に走る阿武隈山系から木戸川・井出川が流れ、天神岬からは太平洋と緑あふれる田園風景が一面に見渡せ、町民は恵まれた豊かな自然環境と浜通り地方の温暖な気候風土の中で暮らしてきました。また、世界有数のサッカーナショナルトレーニングセンター「Jヴィレッジ」が立地し、年間のべ1,000チーム、50万人が訪れて利用するとともに、JFAアカデミー福島の拠点施設として多くの若者が世界へ羽ばたくなど、自然とスポーツが融合した町としても着実に発展を遂げてきました。
しかしながら、平成23年3月11日に発生した東日本大震災は、私たちの生活を一変させることとなりました。巨大な地震と津波が町を襲い、人的・物的な被害を及ぼすにとどまらず、これに伴い発生した原子力災害によってすべての町民が町外への避難を余儀なくされ、今日もなお、ふるさとの我が家での生活を望んでもできない状況が続いています。この間、地震で傷んだ家屋は長期にわたり放置されて荒廃が進み、地域の経済・産業や生活基盤はかつてない甚大な被害を受け、近隣町村で生活に必要な機能を補い支え合ってきた関係をも失うこととなりました。町のシンボルであったJヴィレッジも原発事故の対応拠点となり、スポーツ施設としての本来機能を失い続けています。
さらに、町民それぞれが長い間町を離れ、散り散りとなって避難生活を送ってきたことで、同郷である町民同士のきずなや一体感、ふるさとへの想いが薄らぎ、帰町の意欲がそがれてしまうこと懸念されています。
このように、地震・津波・原子力事故の複合災害は、実に多くの困難や課題をもたらしており、町民が平穏に暮らせる環境を取り戻すことはもとより、ふるさとのにぎわいを回復していくことは容易ではありません。楢葉町が、人々が住みたいと感じ、大切にしたいと思えるような魅力ある町として再生していくためには、町外からの応援や共感も獲得しつつ、より多くの町民がまちづくりに主体的、積極的に関わっていくことが求められます。また、地域の経済・産業を立て直し、町の復興を加速させるためには、復興需要を域内で循環・再投資するなどの仕組みづくりが必要です。
そのために、一般社団法人ならはみらいは、「きずな・安心・活力」を理念として、今後こうした新たなムーブメントを起こしていく触媒的な役割、さらには、町民や地元企業が行政とともに協働する身近な組織となってまちづくりを主導する役割を果たしていきます。
そして究極的には、地域の将来を担う子供たちが夢や希望に満ちあふれ、町民一人ひとりが双葉郡楢葉町で生まれ育ったという誇りを取り戻し、真の復興が実現されることが私たちの共通の念願です。
平成26年6月30日
設立発起人一同
ロゴマーク
このロゴは、naraha mirai(ならはみらい)の単語の頭文字を幾何学に変換し、デザインモチーフとして用いています。ならはの “n” をまちの風景をつくっている山や田んぼなどの自然に、みらいの “m”をまちを流れる木戸川・井出川の2本の川や木戸川上流の雄滝・雌滝、太平洋の波に見立てました。また、これら“n” と “m”を組み合わせた3つのラインは、Jヴィレッジを擁し、スポーツが盛んな楢葉のアクティブな爽やかさとなり、またそのラインは、人と人の結束や未来へ続く道も示しています。
すべての角は丸く、やさしく人々に寄り添い、元気づけるような、明るくあたたかい色を選びました。
ゼロからの新たなスタート、一つひとつ積み重ねながら、人々が手に手を携えて、ともに未来へ向かって歩んでいく姿、そして”楢葉の未来”への祈りを込めたロゴマークです。
法人概要
- 法人名称
- 一般社団法人 ならはみらい
- 所在地
- 福島県双葉郡楢葉町大字北田字中満260番地
- 設立年月日
- 平成26年6月30日
- 理事
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代表理事渡邉 清
専務理事永山 光明
理事大和田 賢司
理事近藤 邦彦
理事木村 重男
理事吉田 泰子 - 監事
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監事入江 康寛
監事島村 和典 - 顧問
- 顧問石崎 芳行
- 社員
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社員蛭田 勇成
社員古市 壽正
社員加藤 大蔵
社員高木 竜輔
社員猪狩 誠
社員山内 康一
社員遠藤 知行 - 事務局員
- 事務局長樋田 利治
- 総務係
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事務局次長 兼 係長西出 貞善
係員木村 由香 - 企画事業係
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係長木村 英一
主任牧ノ原 沙友里
係員西崎 芽衣
係員青山 隆宏 - 移住推進係
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係長平山 将士
係員森 雄一朗 - 施設管理係
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係長佐藤 康正
係員佐藤 辰也
係員伊藤 紘輝
係員猪狩 直人
※令和3年6月22日現在