REPORT

ならはみらい10周年企画 「成長期」対談

一般社団法人ならはみらいは、2024年に設立10周年を迎えました。10年という節目にあわせ、ならはみらいのスタッフ間で「これまでに歩んできた10年間を振り返り、大切にし続けたい価値観や考え方を改めて見直そう」と、10年を4つの時代に分け、振り返りの対談を実施しました。
法人設立、商業・交流施設の運営スタート、移住定住促進事業本格開始を4つの時代の区切りとしています。

このレポートでは、第3期となる「成長期」の対談をお送りいたします。商業・交流施設等の指定管理事業がスタートし、組織が拡大。イベント開催など事業が多様化し、少しずつならはみらいの名が浸透してきた時期です。

成長期は、『ここなら笑店街』『みんなの交流館 ならはCANvas』の指定管理事業が始まり、ならはみらいの組織として成長する基盤が形成された時期です。震災復興から、町民一人ひとりが明るく暮らすためのまちづくりへ。新たな方向性を切り開くために尽力した、5 名に話を伺いました。

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<「成長期」対談メンバープロフィール>
(左から)
西﨑 芽衣
大学を休学して臨時職員( 2015.4 ~ 2016.3 )
事務局スタッフ( 2017.4 ~ )

矢代( 牧ノ原) 沙友里
元事務局スタッフ( 2016.4 ~ 2023.2 )

樋田 利治
元事務局長( 2020.4 ~ 2023.3 )

石崎 芳行
顧問( 2019.4 ~ )
元東京電力職員

永山 光明
専務理事( 2020.6 ~ )
元事務局長( 2016.4 ~ 2020.3 )


「指定管理事業を開始した成長期
    コロナ禍という
  予期せぬ困難も乗り越えた

――みなさんがならはみらいに入った経緯を教えてください。

西﨑 私は、京都府の大学でまちづくりを学びながら、ボランティアとして避難中の町民の方と交流をしていました。大学を1 年間休学してならはみらいの嘱託職員となり、大学を卒業した後に正職員となりました。楢葉の方の思いを正しく理解し、“ 町民主体のまちづくり” の実現に向けてできることをしたいという思いが、当時の原動力でしたね。

矢代 私は楢葉町出身で、震災当時は夢を追いかけ上京していました。楢葉町の避難指示が解除され、やりたいことの区切りもついたころ、双葉郡内で開催された「ふたばワールド」を訪れたことが帰町への後押しになりました。地元のためにスタッフとして動く同級生の懸命さを素敵だと思い、ブースの運営をしていたならはみらいに興味が湧きました。

永山 私は町役場を定年退職した後のことを考えていた際に、ならはみらいへの再雇用の話がありました。まちづくり会社であれば、避難指示解除後の楢葉が変わっていく様子を町民に近い目線で見ることができると思い、ならはみらいの一員となりました。

樋田 私は先代の事務局長から、バトンを引き継ぐ役割を頼まれました。在職していた3 年間はコロナ対策に追われ、またたく間に過ぎてしまいましたが、楢葉町の未来を想い、自由な発想でまちづくりに打ち込む経験ができました。

石崎 私はJ ヴィレッジの建設当時に東京電力社員として楢葉町と縁をもち始め、福島第二原発の所長時代に町民のみなさんと仲良くなりました。終の棲家は楢葉町でと夢見ていた矢先に震災・原発事故があり、長く務めた会社のご迷惑をお詫びするため、避難所を回りました。厳しい避難生活を送っているにもかかわらず、やさしい言葉をかけてくださる町民の方がいたことは、今も忘れることができません。顧問として声をかけてくれたならはみらいにも、ご恩を返したいと強く思っています。

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――成長期の大きな変化のひとつが、指定管理事業の開始だったとお聞きしています。

永山 町からの受託事業や、メガソーラー出資による配当金収益は、復興予算の減少や電力市場の情勢変化により変動するリスクもありますからね。人件費を安定して確保し、各職員の給与ベースアップを叶えるためにも、収入の柱の数を増やすことは必須でした。

樋田 コロナ禍によって社会の先行きが不透明になった面でも、安定した財源を確保できる指定管理事業は大きな力になると考えました。

――指定管理事業に対する思いはどのようなものだったのでしょうか。

樋田 たくさんの人が思いを込めてつくり込んできた施設だからこそ、職員は誰しも、管理する責任の重さを感じていました。

矢代 新しいことが始まるワクワク感もありましたが、後世に残る取り組みだからこそ感じるプレッシャーもありましたね。

西﨑 私は指定管理施設の中でも『みんなの交流館ならはCANvas』には強い思い入れがあります。交流館に身を置いて町民の方との関わりを大切にしながら、町民主体のまちづくりを進めたい。だからならはみらいに就職した、と言っても過言ではありません。そんな中、町民の方が自発的に、交流館で勉強する子どもたちの学習サポトを願い出てくれたときは、関わってきて本当に良かったと思いました。

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――成長期は、町民の方の帰還を促す一方で、移住にも目を向け始めた時期かと思います。

樋田 町民の帰還率が頭打ちになっている状態と、地方移住を奨励する風潮とが重なりましたからね。移住事業を始めるうえで、研修や視察も行いました。

石崎 研修先での一番の学びは、お節介役の重要性です。移住がうまくいっている地域では、地域を良く知る人間が、移住者にほどよくお節介を焼いていることがポイントだと知りました。それ以来、私も楢葉町のお節介おじさんのひとりになることを目指しています。

西﨑 私自身も移住者なので、町をよく知る方が、地域との接点をつくり、両者をつないでいけるといいなと感じていました。

矢代 近年の楢葉町では、若い町民の中からも、お節介役を買って出てくれる人が増えてきたように思います。これも町の変化のひとつかもしれません。

――他にも、移住者を迎え入れる地域となるために必要だと感じたことはありましたか?

永山 元々楢葉町で生活をしていた町民の方への配慮も、課題だと感じました。

西﨑 ならはみらいの本来の使命は、町民のみなさんと共により良い楢葉町の暮らしをつくり上げることだと考えています。移住促進事業は、その延長線上にあるのではないでしょうか。町民誰しもが「楢葉町で暮らしていてよかった」と思えるまちづくりを進めることが大切だと思います。

――他にも、思い入れのある事業はありますか?

矢代 心に残っているのは「楢葉町新たなコミュニティづくり懇話会」という事業です。住民・地元組織・進出企業が自由な意見交換を通じて相互理解を深めることを目指して組織を立ち上げました。やることへの意義は感じていた一方で、成果が見えづらく、進め方に迷っていたため、心に残っています。

西﨑 家財の運び出しや住居再建に関する相談を受け付ける「生活再建コールセンター事業」は、実施期間が決まっていたため、事業規模を年々縮小していく必要がありました。お断りをしなくてはいけない町民の方にはていねいな説明を心がけましたが、どうしても理解を得らないこともあったため、強く印象に残っています。

――大変だと感じる事業で、モチベーションを保てたのは、なぜだったのでしょうか?

西﨑 「今このサポートを手放すことが、町民主体の楢葉町の実現につながる」と信じていたからです。

矢代 私も当時、この事業を誰のために、何のために行うのか、何度も自分に問いかけていました。

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――町民主体のまちづくりの成果のひとつが、「ならは百年祭」の誕生ではないかと、他の対談でお伺いしました。

矢代 夏祭りを行うと聞いたとき、参加した子ども達が大人になっても「百年祭あるから、お盆は楢葉で過ごそう!」と思ってもらえるような、素敵なお祭りになるといいなと思いました。

西﨑 若手プレイヤーたちが自発的に「自分たちが大切に思うものを未来に残そう」と立ち上がり、思いに共感する同志を集めて運営するというのです。100 年続く祭りを始めようと決まった時には「これは大変なことが始まった」と思ったものです(笑)。

永山 楢葉町の各行政区の伝統的な祭りは、担い手不足により復活が難しくなっています。今後、これらの消えゆく祭りと「ならは百年祭」とがうまい共存の仕方を見つけてくれるといいかもしれません。

――事業拡大や移住奨励の流れで、さまざまな背景をもつ職員の方が入ってきたのも、この時期でしょうか。

石崎 ならはみらいとしても、町民や職員に新しい顔ぶれが増えることへの期待と同時に、新たな配慮も必要になることへの懸念もありました。

樋田 楢葉町で震災を経験していない職員が増えるのですから、職員の心の向きをそろえる努力が求められました。特に特命チームである移住チームが孤立してしまわないよう、朝のミーティングで全社的な情報共有を行うなど、注意を払いました。

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――成長期の間に、ならはみらいの労働環境にも変化はありましたか?

樋田 ならはみらいは本来、住民や職員同士の接触が多い場所です。しかしコロナ禍中は、いかに人々を接触させないかという配慮が求められ、危機管理マニュアルの整備を行いました。また、女性の働きやすさ整備にも取り掛かれたのが、成長期の成果です。

西﨑 私はコロナ禍中に第一子の出産を迎え、感染を避けるためにも産前からリモート勤務を許可してもらいました。そして第二子を出産した際は、職場にベビーベッドを置き、子どもの世話をしながら仕事ができる環境を整えてもらったんです。子育てと仕事を両立したいという私の希望を、最大限に叶えてもらいました。

矢代 西﨑さんがきっかけとなってより整備された職場環境は、企業として今後の大きな財産になるはずです。

――10 年後、ならはみらいはどのようになってほしいと思いますか?

西﨑 町民のみなさんに納得がいくまで寄り添うためにも、安定した財源は重要です。これからも、常に社会情勢や時代のニーズに関心をもち、新たな事業づくりに果敢にチャレンジし続けます。

矢代 ならはみらいを頼りにしてくれる町民が増えてほしいです。まちづくり会社と町民の方が手と手を取り合う楢葉町なら、きっとみんなが楽しく暮らせているでしょう。

樋田 ならはみらいのまちづくりはこれから、復興の次のフェーズへ向かって行くでしょう。誰かの挑戦を助けるために、自ら動ける組織であり続けてほしいです。

石崎 ならはみらいは、地域づくりに活躍できる人材を育てる場となってほしいと思っています。そして、かつての楢葉町がそうであったように、人も企業も、町に存在するすべてが共存共栄できる地域をつくり続けてくれることを強く期待しています。

永山 これからもチャレンジ精神をもった組織であってほしいです。若者や子どもがこぞって、「将来の夢はならはみらいの職員になることです!」と言ってくれたらいいですね。
(敬称略)
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