ならはみらい10周年企画 「立ち上げ期」対談
一般社団法人ならはみらいは、2024年に設立10周年を迎えました。10年という節目にあわせ、ならはみらいのスタッフ間で「これまでに歩んできた10年間を振り返り、大切にし続けたい価値観や考え方を改めて見直そう」と、10年を4つの時代に分け、振り返りの対談を実施しました。
法人設立、商業・交流施設の運営スタート、移住定住促進事業本格開始を4つの時代の区切りとしています。
このレポートでは、第1期となる「立ち上げ期」の対談をお送りいたします。立ち上げ期は、学識経験者や地元商工業者が中心となり策定した「楢葉町復興計画〈第一次〉」で復興まちづくり会社設立が検討され、法人立ち上げに向けた協議を行った時期です。
3.11直下の楢葉町は、前代未聞の混乱期を迎えました。避難によって町民が散り散りとなった町を、もう一度蘇らせたい。そのためには町民の縁をつなぎ直し、「みらい」に明かりを灯す存在が必要でした。ならはみらい設立までの険しい道を歩んだ4名に、当時の話を伺いました。
<「立ち上げ期」対談メンバープロフィール>
(左から)
坂本 裕
元楢葉町役場復興推進課担当職員
現在は楢葉町振興公社
近藤 邦彦
元楢葉町復興推進委員長※
元理事( 設立~ 2022.6 )
渡邉 清
元楢葉町復興推進委員※
元代表理事( 設立~ 2024.6 )
猪狩 充弘
元楢葉町役場復興推進課課長
事務局長( 2024.4 ~ )
※楢葉町復興推進委員は、ならはみらい設立のきっかけとなる議論を行った復興計画の策定委員会メンバー
楢葉町の「みらい」を灯すため
きずな・安心・活力を柱に据える
震災後、楢葉町はどのような状態でしたか?
猪狩 楢葉町は震災の翌朝、町独自の判断で全町避難を決定しました。早期の判断により、住民のおよそ7 割に当たる 5,600人をいわき市内の学校に集約することができたのです。学校からはじまった避難生活は、次に二次避難として旅館やホテル、そして借上住宅(民営アパート)や仮設住宅へ移りました。誰もが 2、3日で帰れると思っていた避難は、長期化の兆しを見せ始めると、当然不安が強くなります。町としての今後の方向性を示すことが求められたのです。
――それで復興計画〈第一次〉の策定委員会が設置されたのですね。
渡邉 町が受けたダメージは甚大で、行政職員が不眠不休で対応していても、とても手が回らない状況でした。何とか行政の仕事を助けなければという気持ちが強かったです。
猪狩 楢葉町復興計画検討委員会では、平成23 年8 月に行った町民アンケートを元に、議論を重ねました。そして翌年の春には復興計画〈第一次〉が示されたのです。計画には土地利用や復興の取り組みを支える仕組みとして、コンパクトタウンの形成と、まちづくりを担う組織の必要性が盛り込まれました。
――なぜ、行政とは異なる組織をつくる結論に至ったのでしょうか?
猪狩 当時の行政は地震・津波で被災したインフラの復旧や新たな生活インフラの整備など、ハード面の復興を中心に担っていました。そして、ふたつの限界を迎えます。ひとつ目は、財源の自由度。公金は、使用用途が限定されており、地域ニーズに沿った柔軟な使い方に制限があります。ふたつ目は、人的リソース量の限界。当時の町役場の職員は100 人程で、町外からの応援職員や支援者の助けを加えても、こなせる仕事量に限界がありました。
近藤 一方で住民アンケートの結果は、コミュニティ再生の重要性を示していました。つまり、町民同士の交流を復活させ、町民が“ 帰ろう” と思えるきっかけをつくり出せる役割をまちづくり会社が担うことで、行政が行うハード整備と合わせたインパクトを町民に与えられると期待されていたのです。
――そこで、組織設立へ動き出すために、みなさんに白羽の矢が立ったのですね。
――計画当初、まちづくり組織が担う仕事とは、どのようなものがあると想定していたのでしょうか?
猪狩 既存の民間企業の業務を圧迫する存在にならない配慮も必要でしたね。また、復興需要で発生する仕事を地元企業に分配する機関にするという案もありました。今の業態とはだいぶ異なりますよね。
坂本 ソフト部分の復興を担う……それ以上の詳しい中身は、誰も予想がついていませんでした。「町のソフト面の復興を担います」「行政にも民間にもできないことをやります」という概念は共感されるものでした。しかし、組織設立の発端となった復興計画は、町の復興に関わるありとあらゆる事柄を広く書いています。すべて大事なことだけれども、すべてを実現するのは難しいので、まちづくり会社が何を取り扱うか、まちづくり会社として活動の指針と範囲を示す“ 柱” をどのように設定するべきか。ひどく頭を悩ませました。
――基本理念が定まるまで、どれくらいの時間を要したのでしょうか?
猪狩 ならはみらいの設立趣意書は、決して長い文章ではありません。けれども、書くために2 か月ほどの時間を要しました。それだけメッセージと想いを込めたものです。ヒントになりそうな場所へ、視察にも行きましたね。
坂本 特に心に残っているのは、宮城大学を視察したときに教授にかけてもらった言葉です。「何をやるにしても住民の気持ちが離れたら復興は進まない」と言われ、ハッとしました。ならはみらいの基本理念に、きずなというワードを加えるヒント
になりました。
――そこから、ならはみらいの3 本の柱、「きずな・安心・活力」が生まれたのですね。
坂本 3本の柱に加えて、触媒的な役割というフレーズにもこだわりました。触媒とは、自身は変わらないけど、周囲の物質同士の反応を促す役割をするものです。人と人、事業と事業をつなぎ、より良い未来の姿を目指すという、ならはみらいの役割を表しています。
渡邉 ならはみらいという名前にも、復興への願いを込めました。
――事業指針の柱が決まったあとは、より詳しい事業内容を検討したのでしょうか?
渡邉 議論を重ねましたが、たどり着いた結論は“ やれることから何でもやる” ことしか、復興の突破口になりえないという悟りでしたね。
近藤 明確な行動指針を先につくるよりも、行動をしながら改善していくというスタイルで進んでいました。平時であれば、問題を事前に想定して計画を立てることがセオリーでしょう。しかし、当時の楢葉町は復興状況が目まぐるしく変化していたこともあり、求められる役割やニーズが刻一刻と変化していました。そうした際に、受け皿となれる組織があるかないかで対応は大きく変わり、まち全体の進路はかなり変わってきます。町民が相談できる窓口になり、解決への突破口を生み出せる組織となることを信じていました。
――自走できる組織になるために、何が必要だったのでしょうか?
猪狩 重要視したのが、財源です。行政に負担をかけず、まちに必要な新しい事業を考えながら自走し続けるためには、安定して得られる財源が重要でした。そこで取り組んだのが、メガソーラー発電事業を行う会社に出資をして、配当金を活動資金とする構想です。
渡邉 確かに行政からのアウトソーシングを中心とした予算計画もありました。しかし復興財源もいつかはなくなるため、行政からの資金ばかりに頼っていては、その体制が長く続く保証はありません。自らの裁量で、必要な行動や人材を判断し、テンポよく活動にまい進していくためにも、自己財源は重要です。自身の財布の心配をしているようでは、理念を実現するのは難しくなってしまいますから。
坂本 それと、行政と発注元・発注先の関係になってしまうのも、望ましくないだろうと話しましたね。発注の仕様に縛られ、自由な活動ができなくなってしまいます。「言われたことのみをやっていればいいや」と満足してしまうことも懸念していました。
――自主財源の獲得が必須だったのですね。
坂本 メガソーラー発電事業の配当金という、いわゆる投資所得で原資を得られるシステムにしたのもミソでした。資金調達のための仕事にとらわれる必要がありません。組織の人的リソースの100% を、まちの復興のために注ぎ込めることは大きいです。
――ならはみらいのひとつの特長に、町民主体の活動を促す理念があると思いますが、どういった趣旨だったのですか?
坂本 町民それぞれが別の避難先や異なる被災状況下に置かれたことで、自分達のまちをどうしていきたいか気持ちをそろえて考える重要性に気づけました。
坂本 「“町民主体” のキーワードのもと、町民自らがまちづくりについて本気で考えるようになってほしい。まちづくり会社に愛着をもち、一度失ったふるさとを一緒にどうにかするためのパートナーとして見てほしい」という楢葉町民への期待と願いが込められています。町民主体という言葉は行政ではよく使いますが、これほどまでに気持ちの入った“ 町民主体”というフレーズは他にはありません。
渡邉 「ならは百年祭」なども、町民主体の風土が根付いた表れのひとつです。行政の主導ではなく、若者たちが町民と手と手を取り合って開催しています。
――そのほか、設立までに特に苦労したことはありますか?
坂本 人材探しですね。運営には当然、スタッフが必要です。事業計画が明確化されていなかったので、私どもも「何をやるのかもわからない会社に身を預けてくれ」とは言いづらかったです。業務内容ではなく、想いに賛同してくれる人が応募してくれた状況でした。
渡邉 加えて、まちに思い入れがないと、仕事も上辺だけになってしまい、熱が入らなくなってしまいます。地域のことを心の底から考えられないと難しい業務なので、今も想いの強い職員が集まっています。
近藤 行政の出資が入るような組織は全国を見ても、上手くいかないケースが多く見受けられます。その点ならはみらいは現在の状態で10年を迎えられました。発起人の立場からすると、職員一人ひとりが本当によくやってくれていると感じます。
――これからのならはみらいに期待していることはありますか?
猪狩 ならはみらいは現在、行政から頼られるたのもしい組織になれたと思います。それに慢心せず、常に町民との距離を近く保ち、より多くの町民から頼られることを目指し続ける組織であってほしいです。
渡邉 若者が多く暮らす楢葉町になれるよう、町独自の暮らし方や文化の醸成に力を入れてもらえたらと思います。加えて町外から人が訪れたくなるような、町に魅力をプラスする活動にも力を入れてもらえたらいいですね。
近藤 楢葉町は、J ヴィレッジやスカイアリーナなどの魅力的なスポーツ施設、魅力ある人や制度などのソフト面も有しています。あとはアート文化などを持ち込んでも、おもしろいかもしれませんね。浜通り全体が一致結束して地域を盛り上げる流れを、楢葉町がリードしてつくっても良いでしょう。地域づくりの新しいアイデアを町に投げかける役割を担ってくれることを、ならはみらいに期待して10 年20 年 50 年と続いてほしいです。
坂本 これからも、触媒としての役割を努め、町民と共に歩み続ける組織であってほしいです。
(敬称略)